











freelance / TOKYO
前原 孝寛
Takahiro Maehara
CREATIVE DIRECTOR /
DESIGNER / DJ
ビール、焼酎
9
杯
08
27
THU
Contents

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本当にゲームが大好きで、もうゲームばっかりやってましたね。ファミコンで、特にロールプレイングゲーム。ファイナルファンタジーとかドラクエとか。
それは小学校からずっとですか。


ずっとですね。新作が出ればいつもやっていたし、ゲームの世界がやっぱり好きだったんですよ。
旅をしてる、行けない世界に行けてるという感覚。音楽に目覚める前は、間違いなくゲームが一番好きでした。
面白いのが、結局いまも変わってないんですよ。(笑)
小3の時にファイナルファンタジー3が出て、それでRPGにはまったんですけど、この間もファイナルファンタジー16が出るのを心待ちにしていて。世界のゲームカンファレンスで新作が発表されるのも、いまだにすごく楽しみですし。30年経ってもやってることが変わらない。(笑)
今もファイナルファンタジー14をオンラインでプレイしています。
ファイナルファンタジーは当時みんなやってましたよね。(笑)
ドラクエとRPG二大巨塔のイメージがあります。


今思い出したのが、小学校の時の自由帳です。横向きにして、1ページにドラクエみたいな戦闘画面を描いていたんですよ。上の段には自分とパーティーの仲間のHPやMPが書いてあって、下に敵の名前があって。
友達と紙のRPGをやっていたんです。僕がゲーム側で、サイコロを振らせてダメージの値を決めて、敵のボスの数値に対して倒せるか倒せないかをやる、という超アナログゲームですね。
UIの、一番最初のところですね。(笑)
僕も友達と同じようなカードゲーム作ってました。(笑)


UIなんて程遠いですけど(笑)
まあスタートとしては変わらないのかもしれないですね。

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趣味ではゲームや音楽の話がありましたが、今の仕事を選んだきっかけって何だったんですか?


実は、なろうと思ってなったわけじゃないんですよ。小さい頃からなりたくてなった仕事ではないし。
さっきの音楽の話のときに少し出ましたが、本当はミュージシャンをやりたかったので。
そうですよね、大沢さんの話の部分ですよね。
今のデザイン関連の方はどこが入り口だったんですか?


中2くらいの時に初めてインターネットに触れて、高1くらいの時に親にMacを買ってもらったんです。Performa 5440の一体型のやつだったんですけど。それを買ってもらった時に、中に入っていたペイントソフトでデザインをやったりしていて。
あとは、懐かしいAdobe PageMillとか。昔のアドビのウェブサイト制作ソフトですね。Macromediaより全然前のやつだったんじゃないかな。
そういうのを使って制作してましたね。当時からPhotoshopやIllustratorも結構使って楽しくやっていましたね。ジオシティーズでホームページも作っていましたし。
おー、結構ガッツリやってますね。
そこから一回、音楽のほうに行かれたんですね。


そうですね。やっぱり音楽の道に進みたかったので、そっちに走って一回忘れていて。それで大沢伸一さんの下で修行していたんですけど...
実際に現場を目の前にして、「こっちじゃないかも」と思ったんです。あとでお話するかもですが、音楽の世界でプロになるのは厳しい世界だなと。
そこからWebデザインの方に戻ってこられたと。


だったらと、当時、WASABEATというクラブミュージックストアのスタートアップがあったので、クラブミュージックの現場経験も活かせるし、軸足を移そうと思って、そこで働きました。
音楽配信だったから、ウェブサイトでサービスを作るわけですよね。そこでデザインもやったりして。インターネットにまつわる仕事としては、そこが初めてかもしれないですね。
なるほど、今まで培った音楽の部分が活かせるのはすごくいいですね。


そうですね。僕は美大とか専門に行っているわけじゃないので、デザインに関しては本当に独学の雑種ですけど。(笑)
その後、最初に入った制作会社で最後はクリエイティブ・ディレクターになって、サービス系の事業会社へ行ったり、フルサービスの広告代理店を経て、なんだかんだと今の仕事に流れついた感じです。

#

2人いますね。一人はさっきも話に出た、大沢伸一さんです。
20代のころ、約1年ほど個人的なアシスタントのようなことをさせていただいていました。
朝、プライベートスタジオに行って、掃除をしてコーヒーを淹れるところから始まる。
終日そこにいさせていただいて、楽曲制作を見たり、来客があればコーヒーを出したり、DJがあるときは地方へ機材を持って行ったり。弟子入りのようなものですね。
弟子入りは中々珍しい、本当にすごい環境からスタートしてるんですね。
大沢さんはどんな方だったんですか?


当時はめちゃくちゃ怖かったです。(笑)
でも、それがかっこよく見えたんですよね。ほぼどこに行くにも連れて行っていただいたので、DJの現場での立ち振る舞いとか、トラックメイキングをする時の集中力もそうですし。
制作のスタジオから、DJの現場まで、目の前でそのプロフェッショナリズムを体感させてもらいました。
まさに、プロの現場な感じですね。


何も分かってない当時の僕からしたら「なんでそこまで?」って思うこともよくあったのですが、大沢さんの拘りにワガママなんてひとつもなくて。
DJなら自分のできる環境でちゃんとしたパフォーマンスが出せなければ、そもそもお客さんを満足させられないし、楽曲作りも納得いくまで何度でも作り続ける。
プロとしてのプライドを持ってやっている。当然のことなんです。
そのためには何でも言うし、絶対に譲らない、ブレない信念がとてつもなかったです。背中でも言葉でも多くのことを教えていただきました。
音楽制作に関してもそうで、オファー通りじゃなかったとしても、もっと良いものが出来たら「俺はこっちのほうがいいと思うから、絶対これで出す」と。
それが本当に通ったりする。そういうクリエイティブが生まれる過程を目の前で見て、横でその理由も聞いたりもできたんです。その一言一言が今でも役にたっています。
なるほど、すごいな。。
アーティストとデザイナーは違うとはいえ、こだわりや信念としては見習いたい部分ですね。


そうなんですよ。もちろんクライアントのニーズは汲みつつも「頼まれている以上はそれをしっかり形にして、かつ自分の信念や美学に反しないベストだと思うものをつくる」こと。
当たり前のことなんですが、なかなかできないことだと思います。そのこだわりを目の前で見ていて、本当に妥協がなかった。
僕はアーティストじゃないし、デザイナーなので、全てが同じではないですが、クリエイティブな仕事をする上で、自分のアウトプットに対してこだわりと誇りを持つということは、そこでめちゃくちゃ学びました。
そこから20年経って、今「あの時こんなこと言ってましたよ」って言っても、ご本人は全然覚えてないんですけど。(笑)
でも当時、仕事に対する向き合い方とか、なぜここで譲らないのかという話を、生の言葉で聞けていたのは、本当に衝撃でしたし、いまもベースになっています。
めちゃくちゃいい経験と関係ですね。
もうひとかたは?


僕がいた制作会社の社長だった村上亮さんという方です。
10年ほど前に亡くなってしまったんですけど。
一緒に働く会社の前にはアイ・エム・ジェイ(IMJ)という会社を立ち上げて上場させた当時の副社長だった方です。
すごい方ですね。
どういうところを尊敬されていたんですか?


企画がめちゃくちゃ強くて、頭もキレる方なんですけど、それだけじゃなくて先を見通す力もビジネスセンスも全部すごかったんです。
あんまり表に出たがる人じゃなかったんですけど、彼を慕う弟子のような方がめちゃくちゃいるんですよ。しかも、みんな活躍されている方ばかりで。僕もすごく可愛がってもらって、一緒に大きなプレゼンにも行きましたし、普段行けないような場所にもたくさん連れていってもらいました。僕は最後の弟子かもしれません。
僕の30代前半は、本当に全部彼に教えてもらった感じですね。立ち振る舞いも、仕事の仕方も、物の考え方も、夜の遊び方も(笑)、全部です。
社長でしたが、兄貴っていうのが一番近いかもしれません。
めちゃくちゃ素敵ですね。
今でもその考え方が軸になってる感じですか?


今でも悩むと「村上さんだったらどう考えるかな」って考えちゃうくらい、刷り込まれている人ですね。
会社にいた当時も、困ったらみんな「村上部屋」に相談に行っていたので。いまは一人でやっていても、新しいビジネスを始めたい時なんかに、つい考えてしまう。
村上さんは年齢がちょうど一回り、12歳上なんですけど、あと2年経つと、彼の歳に追いつくんですよ。でも到底、まだ彼には追いつけてないなと...

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暮らしの中で気にしていることってありますか?
日頃こういうものを見るようにしている、とか。


大して気にすることはないんですけど、一番気にしているのは物の値段かなと思って。(笑)
家族が買ってきたもの、子供のおもちゃでも服でもいいんですけど、「これいくらかな」って考えるんです。そして、だいたい当たる。
それはマーケター目線な感じで面白いですね。


そのものとマーケットを考えた時に、これくらいの価格設定にするだろうな、こういうブランドだったらこのくらいだろうな、と想像するのがすごく好きなんですよね。
ポテトチップス一つでもそうですし、ラグジュアリーブランドのバッグでもそう。全然遠いジャンルでも、割とニアピンなんですよ。
自分が好きでやっているだけなんですけど、ブランディング仕事をやる時にも役に立っているなとは思いますね。
モノコトがどういう見られ方をしていて、そこに付加価値をどれだけ付けられるか。
その指標は、常に見続けているのかもしれないです。
自分でも価格を設定する時はめちゃくちゃ悩みますし、とても興味深い話です。
値段や価値の話でいうと、他にも何かありますか。


本の話の時に、実は二番手に挙げようとしてたんですが、リッツ・カールトンの元日本支社長の高野登さんが書かれた、おもてなしとは何かみたいな本があって。
あれを読んで面白かったのが、全スタッフに2,000ドルまでの裁量権が与えられているという話で。今もあるんですかね?
何かというと、仮に宿泊客が理不尽に「お前のせいでスーツが汚れた」と言ってきたとしても、どんな立場の人でも即答で「わかりました、対応します」と言えるだけの権限なんですよ。「上長に確認します」じゃなくて、その場ですぐ「対応します」と言ってあげられる。
へー、それは面白いですね。
そういう対応されると、それはファンになりますよね。


もちろん顧客満足度のためでもあるんでしょうけど、それ以上に、お客様にホテルにいる間ずっといい体験をしてほしいということなんですよね。
もし困っていたり怒っていたりするお客様がいたら、誰でもすぐにケアできるだけの裁量がある。「何より今日を快適に過ごして、またここに帰ってきてほしい」という姿勢なんです。
お客側も理不尽なことを言ったかもしれないけど、「スーツが一晩で綺麗になって帰ってきた」という体験のほうを彼らは重視している。そういうホスピタリティの姿勢がすごく好きで。
目に見えない価値みたいなものを考えるのが、昔から割と好きかもしれません。
ディズニーランドも好きだし(笑)
すごく大事な観点ですよね。
それは仕事にも繋がっていますか。


自分のアウトプットも、見かけ上のデザインだけじゃなくて、そこに至るプロセスも含めて価値だと思っているので。
アウトプットとして出たものの満足よりも、クライアントに「前原さんと一緒にやってよかった」と言われる方が嬉しいです。

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やってよかったこと、経験しておいてよかったことはありますか?


たくさんあるんですけど、一番は「block.fm」というメディアを立ち上げたことですね。
きっかけは、前にいた音楽スタートアップの社長がm-floの☆Taku Takahashiさんの知り合いで。
それと、先の村上さんが別で社長もやっていたハニカムというメディアが、当時ものすごい人気のウェブメディアだったんです。
それで、「☆TakuさんがDJのメディアを作りたいと言っているから、相談に乗れないか」とご紹介いただいたのがきっかけでした。
それはめちゃくちゃ大きな仕事ですね。
いつくらいの話ですか?


2011年の11月11日にオープンしました。
インターネットラジオだったんですけど、当時は個人で配信するようなことはまだスタンダードじゃなくて、ストリーミングサーバーを借りると月にウン十万円以上かかる時代だったんですよ。国内のサーバー会社に聞いてもとんでもない額の見積もりが出てきて、それじゃできない。
だからイギリスにインターネットラジオをやっている会社があったので、英語ができるスタッフを連れてきて直接交渉させたんです。
「バナーを出すから、その代わり回線を貸してくれ、人はたくさん来るから」と。そのサービスの協力があってなんとか実現できました。かなり無茶してましたね(笑)
すごい時代だ。。
これは相当な挑戦ですね。


その頃に☆Takuさんとも話していたんですけど、当時のクラブミュージックってラジオでほとんどかからなかったんですよ。それを変えたいと言っていて。
僕もクラブミュージックの世界にいた経験もあったので、もっと観光産業として盛り上げたかったし、マーケットとしても絶対に可能性があると思っていた。
それをやれるのは、J-POPの世界にいて、かつクラブシーンでも活躍している☆Takuさんくらいしかいないなと。
これは乗るしかないと思って、人生をかけてやりました。
ローンチした時の反響はどうだったんですか?


ローンチの前に代官山AIRで関係者だけのローンチパーティーをやったんですけど、ぎゅうぎゅうになるくらい人が来て。
ローンチを発表した時の会場の熱狂が、本当にすごくて。
しかも開局の日、☆Takuさんのスタジオでカウントダウンをしようという話になって。多くの参加DJがいらしてたんですが、そこに、大沢さんもいらしてたんですよ。
数年ぶりにお会いして、「ようやったな」って言ってもらえて。
僕は音楽の道を諦めてから、全然大沢さんにお会いできてなかったので、あの時はめちゃくちゃ嬉しかったですね...
うわー、めちゃくちゃ熱い話じゃないですか!


でも、みんながシャンパンで盛り上がっている時に、僕はサーバートラブルでスタジオの隅で電話してました。(笑)
カウントダウンで「10!9!」って言っているのに、アクセス過多でサイトは落ちかけている。嬉しい悲鳴でしたけど。
でも、そこで日本のクラブシーンも少し変わっていったみたいなんですよね。
ラジオでかからない曲がインターネットで聴けるようになって、クラブミュージックの裾野も広がっていった。
アーティストにはなれなかった僕が、表には出られないけど、微力ながらその仕組みを作ることで貢献できた。もう昔の話ですけど、振り返ればやっぱりやってよかったですね。

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やっぱり魂を込めてやっていない人とは仕事をしたくないんですよね。
シンプルな話で、ご依頼をいただく方、クライアントの担当者の方も含めて、本人が「やらされてそう」な場合はお断りします。
それは相手の姿勢ということですか?


そうですね。担当の方にパッションがあるほうがいいですよね。
それは絶対そうですよね。
こっちの姿勢だったり、大事にしてる部分はあったりしますか?


もちろん、できないことはやらないですけど、自分が受ける以上は、相手がプロジェクトに対していかにコミットしているか、本当にやりたいのかどうか。
それがあるなら、僕は一肌脱ぎたいなあと思います。
ご本人に「なんとかこれを実現したい」という強い思いがあって、そのために僕に声を掛けてくれたというほうがいいじゃないですか。
なぜそれをやりたいのか。パッションがある人には、僕は前のめりになりがちです(笑)
最近そういうプロジェクトって何かありましたか?


まさに最近、溝口さんと一緒にやった選書のサブスクサービス「イチゼンブックス」ですね。
オーナーはもともと僕がブランディングを手がけた会社にいた方なんですけど、当時担当役員として一緒に新しいブランドを立ち上げて。
その方が「いずれ独立してサービスを作りたいと思っているので、その時はお願いします」と、言ってくれていたんです。
それで相談してくれて出来たのが「イチゼンブックス」なんですよ。そういう意味で、ああいう相談は本当に嬉しかったですね。

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いまの話とかなり近くなっちゃうんですけど、やらないと決めていることってありますか?


簡単に言うと「誰でもいい」と思っているのが見え隠れする仕事はやらないです。
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今までの仕事で、辛かったことはありますか?


以前受けた、ある大きな会社のブランディング仕事です。
その中で先方からも何人かのプロジェクトチームができて「ここで責任を持ってやるから」と言われて。
何度もワークショップもやって、戦略設計をして、コピーもキービジュアルも考えて、何回もセッションをしながらクリエイティブの方針も固まって。
おー、それはかなり大規模なプロジェクトですね。
何があったんですか?


トップの社長がなかなかに曲者な方で...
ご一緒したみなさんとずっと一緒に詰めてきたものが、社長の鶴の一声で全部やらないと言われたんです。
おー、、社長がめちゃくちゃ強くて、全部ひっくり返されるパターンですね。。


担当の方たちにはすごく謝られてしまいました。
でも「前原さん、社長にプレゼンをしてください」と言っていただいて。オンラインだったんですけど、入ったら見たことない役員の方など3-40人くらいいるんですよ。(笑)
ひとりひとりの画面が全部ちっちゃくなりすぎて、もはやどれが社長かもわからない。フリーランス一人で40人に向けて全力でプレゼンしたんです。
それは多い(笑)
それでどうだったんですか?


社長は「君の言うことはわかったけど、僕がダメと言ったらダメなんだよね」と。
理由は特にないんです。気に食わない、それしかない。「君の熱意はわかった」みたいな感じで。プレゼン何だったんだよ、って。(笑)
それまで3ヶ月くらいかけてるんですよ。
社内の人は誰も反論できないんですか?


できないんですよね。同じチームの人たちも、あれだけ一緒に考えたんだから、社長に物申してほしいじゃないですか。でも誰も言わない。
みんなで一緒に作ってきたのに、最後の一声で理由もなく全部ひっくり返る。しかも歩み寄るつもりは一切なくて、「もう一回イチから考えて」と。
それはきついですね。。


もうアホかと思って、下りてやろうかとも思いましたけど。(笑)
ほとんど全部作り直しになりました。
コピーもビジュアルもデザインも全部やりなおし。撮影スタジオは押さえていて動かせなかったので、そこは活かしたりとか。
規模が大きかったので、外部パートナーも多く、期間が伸びれば費用が発生するしで調整もむっちゃ大変でした。
すごい、よくやり切りましたね。


僕としては納得はできてなかったですけど、思考を止めてやり直しましたね(笑)
怒ってもしょうがないし。
クライアントのチームの中にも同じ悔しい思いの人もいて、慰め合いながら走り切りましたね。

#
デザインやプロジェクトを進めていく中で、一番楽しい時って、どんな時ですか?


みなさん、変えたい未来があるわけじゃないですか。「これをローンチしたらこうなる」と見えたゴールがリアルに動きそうな時が、僕は一番好きなんです。
自分がデザインしたものでもいいし、提案書でもいい。何かを出した時に、向こうも手応えを感じて全員がニヤリとする瞬間。
「これでいけそうだ」ってクライアントが喜ぶ瞬間が、一番楽しいですね。
いいビジュアルができた時もそうですし、企画書やステートメントを考えている時もそうなんですけど、「これで動きそうだな」と思う瞬間。
自分の中で「いけるな」と思った時よりも、もう少し先の未来を想像できた時というか。
抱えていた課題に対して、それが変わることで人やものが動く、という感覚ですか?


そうですね。デザインができた、綺麗にはまった、全部収まった、ということじゃなくて。その瞬間に何かが動き出す。大きな歯車が回り始める。いろんなものが音を出して動き始めた時に見える瞬間が好きなんです。
僕、ずっと悩んでいるんですけど、一応デザイナーと名乗っていても自慢できるようなデザイナーでもないし、ビジネスについてもスタートアップ経験が豊富なわけでもない。
多分僕は、スペシャリストじゃなくてジェネラリストなんです。
何かの課題に対して、スペシャリストが超強力スキルで解決するという手段もあると思うんですけど、僕はそうじゃなくて、全体を俯瞰した時に、みんなが悩んでいるところをどう解決していくか。決してスーパーじゃないスキルを5種類くらい持っているタイプだろうなって。そうやって色々と仕込んだものが動く瞬間です。
スキルの掛け算はめちゃくちゃ大事ですよね。
何かが動き出すみたいな、そういう話が出てくるのは規模の大きなプロジェクトの時ですか?


規模が大きい時はそうですね。
でも、小さくてもそうですよ。二人でやっている案件でも、相手が気持ちよさそうにしている時とか、「前原さんと話さなきゃ出てこなかったな」と言われると、僕はすごく嬉しいですね(笑)

#
今悩んでいることは特にない、ということでしたが、最後に、これからどうなっていきたい。などはありますか?


いまやっているような「会社のステートメントを考えて、ロゴも作って、ウェブサイトまでワンパッケージでやります」という仕事の仕方は、今後AIに代替されて減っていく、少なくとも増えることはないという流れには逆らえないだろうなとは思っています。
でも一方で、やれる幅は増えたので、エンジニアがいなくてもアプリが作れたり、経験値を活かす領域は広がってきている。
まさにそこはそうですよね。
具体的に何かやろうとしていることがあるんですか?


ひとつは、「フラクショナル・クリエイティブディレクター」を名乗ろうと思っているんです。
フラクショナルというのは「断片的な、一部の」という意味なんですけど、海外にはあって日本ではあまり無いタイトルなんですよね。
広告代理店に頼むとそれなりの金額になるし、社内で雇うとなると相応の年収でクリエイティブができる人を雇わなきゃいけない。
でも一方で、スタートアップやサービスを立ち上げたい会社は、デザイン面でもサービス面でもコミュニケーション面でも困っている。
そこに一定の期間なり、プロジェクトベースなりで中に入るクリエイティブディレクター。海外だと割といるんですよ。でも日本ではあまり名乗っている人がいないなと思って。
なるほど、これまでもそういう立ち振る舞いをされてきたかと思うんですけど、それに近い形ですか?


そうなんです。昔フリーランスになった時に、同じような動きをしている先輩に言われたのが、「俺らって結局、傭兵なんだよね」という言葉で。
「あ、確かに」と思って。困っている時に来て、「とりあえず3ヶ月だけうちの用心棒やってくれ」みたいな働き方が確かにあるなと。
当時からそういうやり方でやってはいたんですけど、そんな案件がいつも来るわけでもなかった。でもいまのほうが、個人でスタートアップをやる人も、スモールビジネスをやる人も増えているし、大きな会社でもそういうシチュエーションがある。
だったら、敢えてそれを標榜したほうがいいと思ったんです。
そのまんま「フリーランスのクリエイティブディレクターです」と言うと、「広告ですか?」となってしまいがちなので。
「デザイン組織を立ち上げるほどじゃないけど、いまそういう人が必要」「サービスの解像度を上げたい」というタイミングで入る。3ヶ月でもいいし、延長してもいい。そういうCDの動き方を、ちゃんと言葉にしていこうかなと思っています。
なるほど、確かに需要はありそうですし、そこをフリーランスで謳っている人はあまり見ないかもしれないですね。
他にもやろうとしていることがあるんですか?


自分でソロプレナーとしてビジネスやサービスを立ち上げることですね。
ウェブをやってきた、アプリをやってきた、広告をやってきた。それを自分に向けて、自分でサービスを作るということをやりたいなと思っています。
なるほど、自社サービス。収益の軸をいくつか持っておくのは本当に大事ですよね。
この先どうなっていくか読めないですしね。(笑)


10年後は本当にわからないです。AIがこんなに来るとは思っていなかったですし。誰も想像してなかったよね、という。
だから「ウェブサイトを作っています」というだけだと、もう先はないと思っています。少なくとも1、2年は持つかもしれないですが、5年後はまずないし、残ったとしてもトップのウェブ制作会社みたいなところしか残らない。
それってもうクラフトマンシップ、言うならエルメスみたいなものじゃないですか。
「職人技でやってます」という話だし、そこにニーズを感じる会社も減っていく。オートクチュールを作ってください、という仕事自体が減っていく。
だから、じゃあ自分たちで何をやるかになってくると思うんですよね。
同感です。自分たちで何をやるか、って本当にこれから大事になってきますよね。


サービスを立ち上げるのは、本当にやりたいですね。というか、やらないと多分死ぬかも、というくらいの温度感です。(笑)
一人親方ですから。
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いつもクールで、大人の落ち着きがあって、頼れる兄貴感たっぷりな前原さん。
出会いのきっかけは、弊社がSDA2024でグランプリをいただいた「旅と仕事と」。受賞記念としてStudioさんが企画してくださったインタビューでした。
その企画のディレクターを務められていたのが前原さんで、2泊3日の広島・尾道旅という濃厚な時間をご一緒させてもらったことは、今でもいい思い出です。
当時は「Studioの方なのかな」と思ってしまうくらいの立ち振る舞いでしたが、これまでの軌跡や仕事のスタイルが気になり、今回お声がけさせていただきました。
お話を伺ったのは、前原さんの行きつけだという代々木上原のバー「THE SALOON」さん。とても魅力的な女性オーナーがお一人で切り盛りされていて、常連さんに愛されているお店です。
今回特に印象的だったのは、人生で影響を受けたお二人のお話でした。
お一人からは、ものづくりと仕事に対するこだわりとプライドを。もうお一人からは、ビジネスをする上での立ち振る舞いや生き方を。
厳しい環境に身を置きながらもお互いのリスペクトがあり、前原さんのものごとに対する姿勢や人柄からとても可愛がられていたのを感じました。
また、そうして受け取ってきたものの積み重ねが、いまの前原さんをつくっているんだろうなと。
音楽系のプロジェクトの話もとても熱く、気づけば2軒を巡る長時間インタビューに。
今宵もまた、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
その「好き」が
その人をつくってる。
Love
01
ランニング、DJ
始めたのは広告代理店時代のコロナ禍のタイミングです。在宅中にフィジカルとメンタルの維持のために近所の公園を走り始めたのがきっかけでした。そうしたら楽しくなってしまって、月100キロとか走るようになって。元々スポーツは好きな方ですが、ただひたすら走るのが性に合ってたんでしょうね。
もうひとつはDJです。もともとクラブミュージックが大好きで、クラブという場所自体も好きなので。趣味程度のDJですけど、いい機会があればやらせてもらったりしています。
Love
02
秋刀魚
寿司も焼肉も好きなんですけど、やっぱりお魚かな。特に秋刀魚がめちゃくちゃ好きで、秋になると朝ごはんによく焼いてます(笑)
前の晩にスーパーで買ってきて、ピチットシートで一晩巻いておくと、水分と一緒に臭みが抜けてめちゃくちゃ美味しくなるんですよ。
Love
04
インターステラー
好きな理由はいくつもあるんですけど、まず音楽がとにかく素敵なんです。ハンス・ジマーの、あのメインテーマ。聞くだけで泣きたくなるくらい好きです。
あとは、宇宙では時間の流れが違うという、相対性理論の話。重力によって時間の進み方が変わるので、宇宙にいる間に地球ではものすごく時間が経ってしまっていたりする。そういう仕掛けの後ろにちゃんとヒューマンドラマがあって、フィクションだけど、超リアルな話なんだという感じが好きなんです。いまでも仕事をしながらBGMみたいに裏で再生しています。(笑)
Love
07
ネオンカラー
ネオンカラーが好きなんですよ。こう見えても。(笑)
といっても、ネオン街のようなものが好きというわけではなくて。黒や濃いグレーの中に、差し色でピンクやグリーンが1本ビシッと入っている、ああいうものがすごく好きなんです。
Love
08
下北沢
いまはやっぱり下北沢ですかね。サブ的に借りてる小さな作業場もあるので、仕事が終わったら飲みに出ています。
若者の街とよく言われますけど、僕は若い頃には来ていなくて、むしろ30代から下北デビューしたような人間なんです。オーセンティックなバーもあれば、安居酒屋もある。クラブもあれば、スナックもある。この「ミックスドカルチャー」みたいなものって、実は他の街にはないんじゃないかと思っていて。そのぐしゃっとしている感じが好きなのかもしれないですね。
Love
10
親しき仲にも礼儀あり
一番大切にしているのは「親しき仲にも礼儀あり」ですかね。幼い頃から、母がずっと言い続けていた言葉。大人になって社会に出て、自分でビジネスをやって。そこであらためて感じることが多くて。クライアントと仲良くなるのは好きなんです。でも距離が近づいたからといって、互いに礼儀を軽んじるようなことはしたくない。いつでも立場は関係なく互いの仕事にリスペクトを持つべきで、仕事でも友達でも本当に大切な言葉だと思っています。